Lankide:JokinPedreJP/Proba orria

Jatorria aldatu

浅田は神道の祝詞から敬語が発生したという説を提唱しており、太古には神々を崇めるための特別な言語形式であり、神との距離を図ったものである。事実、古代の敬語は祭祀を行う天皇のみが用いてきたもので、祝詞に敬語の萌芽が見られる。絶対的な立場である神に対して「絶対敬語」として敬語が誕生し、従来は相手の身分に応じて敬語が用いられてきた。「です・ます」のような丁寧語は用いられておらず、この丁寧語は8世紀ごろに誕生したとされる。拡大して天皇に対して敬語が適用されるようになり、身分制度における敬語の使用へも発達していった。

尾鼻によれば、祝詞は畏怖の感情を表明するもので、ソトの存在であり、また上の存在である神に対して、ウタう、つまり訴えを行うものである。豊作に対する感謝の気持ちを訴えたり、天地災害に対しては怒りを鎮めるよう、あるいは病が癒えるよう、またそれが治れば感謝を訴えた。敬語が使われる動機は自らではなく神という畏れ多い存在があり、畏れ多い絶対的かつ上位の存在である神に対して慎重に言葉を選ぶ必要があった。

敬語の起源として、タブー起源説があるが疑問が呈される。

相対敬語へと変化していく。

尊敬語は奈良時代には例があり、西日本に多く、東日本に少ない。丁寧語は、平安時代に芽が出てきた。中世には、ソトの人に身内のことを説明する時に、身内を高める敬語を使った。つまり、年上の祖父に対して普段敬語を使っているため、客にもその敬語のまま伝えるということであり、この用法は21世紀でも関西に残っている。後にこのような場合は、謙譲語によってへりくだって説明するように変わった。

江戸時代には、身分によって、また同じ身分でも栄えている家柄に対して敬語を使うようになり、一方で、九州では個人的な年齢差によって年上には敬語を使うようになった。「です」は明治時代に東京でよく使われるようになり、全国に普及した。

Egungo keigo aldatu

対して、現代の日本は民主主義の社会、基本的人権の元に平等な社会である。このような社会では、相互の尊重のために敬語は一定の程度は有用である、あるいは敬語は清算すべきという、根本的には両極に価値観が分かれる。またどのよう価値観を抱き表現するかは、思想・良心の自由、表現の自由が憲法によって保障されている。敬語では親しみを表せないと信じている人もいれば、キャラづくりとしてタメ口を表現している芸能人までさまざまである。

「絶対敬語」は、上下関係を元にしているが、現代の敬語は、「相対敬語」であり、自らの相手へのスタンスが動機となる。一般に家庭内で祖父や父に敬語は使わないようになった。変動する相対的な上下関係、親疎、社会関係、状況、気持ち、恩恵関係などが絡んで用いられる。また、性別、ウチとソトなども要因となる。上位の存在に対して敬語を用いているのは変わらない。しかし誰を上位だとみなしているのかは個々の価値観に由来する。

大勢に話す時、また改まった場、あるいは依頼する時、また身構えた時に敬語が用いられる傾向もある。

敬語は、弱い立場への力関係を示したり、皮肉や冷たさも表現することも可能である。また、敬語は距離感を保つための形式でもあるため、仲を深めることを拒否しているという意思表示ともなり、親しさを伝えるためには敬語以外の表現が効果的である場合もある。言葉を丁寧にしても、態度が無礼で配慮がなければ慇懃無礼と言われ、一方、言葉遣いが丁寧すぎるからといって変ではなく、自分の基準だけが正しいと思うこともよくない。「男はつらいよ」の寅さんに出てくるような、「まだ生きてやがったか」のような罵倒じみた挨拶でさえ、旧知の中では再開の喜びを表すことすらある。

1952年には国語審議会にて「これからの敬語」が建議された。封建時代(身分制度)からの習慣であるため(戦後の)民主主義では敬語は清算すべきという説、一方で民主主義では個を尊重する相互の尊敬が基盤となるため、ある程度は敬語が有用であるといった説があり、後者を採用して、敬語の行き過ぎた形はいましめて、誤用を正し、また簡素にするということが話し合われることとなった。これまで敬語が上下関係から発達した点は民主主義的に改め、また女性の敬語や美称の使い過ぎ、商業における不当に相手を高める高い敬語や、逆に自らを下げる謙遜語は、自他の人格的尊厳を見失うことがあるため、よく戒めるべきものであることが指摘された。しかし、簡素化された敬語が普及することはなく、「れる型」の敬語も推奨したが普及しなかった。また相手を指す時「あなた」を標準形とし、「貴殿」「貴下」などを置き換え、「殿」は「様」に置き換え、米のように男性が「お」を省くものは女性でも省き、「です・ます」体を基本とするが、親愛体としての「だ」調を妨げるものではないともされた。

身分、上下関係、目上かどうかと年齢を重視した尊敬語と謙譲語が前に出た敬語であった従来の敬語から、親疎を考慮した現代の敬語へと変質し丁寧語が前にも出てくることとなった。そして、一般の認識では敬語とは、尊敬語と謙譲語である。

その後、敬語の再検討に至るのは、40年が経過し1993年以降であり、その間に敬語の使用の低迷も招いており、2007年に「敬語の指針」が発表され再び敬語に注目が集まり、また従来の3分類から美化語の追加などで5分類へと改められた。相互尊重による敬語という考えは継承された。この指針によれば、敬語は自分との関係を表現するものであり、コミュニケーションを円滑にし、人間関係を築くときに用い、また気持ちの表現手段であり、敬い、改まった気持ちを表現するものだとされた。直後2008年の中学校の教科書では3分類が教えられていたりもし、統一的ではなく、ある教科書では、敬意を示す時に使うとし、ほかの教科書では、改まった気持を表すとか、人間関係に応じた言葉遣いだとされている。「敬語の指針」では「あなた」について解説されており、本来は敬意の高い敬語だが、21世紀初頭では夫婦など身内で親しみを込めて用いる場合を除いては、対等から下位の者に対して一般に使われており、中立的でやや冷たい響きでもあるとされる。

21世紀には、過剰な丁寧語への変化が見られる。それまで敬語は相手との心理的距離を表していたが、自らの言葉遣いを示す側面も増えた。「敬語の指針」では、その場にいない人への敬語の使用は違和感が感じられる可能性があるとし、その場にいる聞き手だけを意識して使われるようになったという変化が取り込まれている。「お召し上がりになる」のような、「召し上がる」に「お」がついた二重敬語だが「敬語の指針」や敬語の実用書でも推奨されており、広く認められた使い方になっているし、アンケート調査でも違和感を持つ人は1割程度である。「敬語の指針」ではこうした時代を経た様々な変化が反映されている。

5分類の背景には、言葉遣いをきれいにしようと単語に「お」をつける美化語を、特に東京近郊の女性が多用しだしたことによって、全国的に波及したことがある。同様に首都圏の女性では尊敬語の用法が広がっており、過剰とされる二重、三重の敬語が使われる。敬語の変化を大規模調査してきた井上史雄によれば、5分類は、21世紀の東京の敬語を説明するには適するが、3分類でよいとしている。このように敬語だけに関わらず日本語は流動しており、敬語については敬意を示そうとしたという部分に注目し、誤りにだと思う部分を寛容に受け止めることも大切となる。

敬語は敬意を表現するものであるというのが、主流の見解のひとつであり、「米」を敬っていれば「お米」と表現するため、これらの人々では話者の品位を表すために「お米」と呼ぶ美化語は認めないという立場をとる。

尾鼻によれば、敬語の形式を用いるのは、敬意からではなく、相手にとる距離感からである。敬語によって適切な距離感をとれば敬意を表することもできれば、敬語によって不要に距離を取れば侮辱ともなりえる。親疎の疎、言い換えればソトの存在だとみなしている場合、警戒心から敬語を用いて心的距離を置く場合もある。こうした新たな研究領域からは、待遇表現という用語でも呼ばれている。

あるいは櫻井によれば、現代の敬語は商業主義から成り立っており、客を上位として扱っていることに由来する。

2007-2008年の3652人の調査では、50代までは90%以上が敬語を使い分けており、60代以上では約80%であった。使い分けの男女差は使い分けていない人は男性の方が若干多い。

2014年の広島大学の生徒44名を対象とした調査における、同年代と思われる見知らぬ人から話しかけられた時、敬語を使用について回答した人の割合を示す。なお相手が日本人ではなく外国人では、そう思う人の割合はより低い。

  • 授業中、授業後、クラブ活動では「やや失礼だと思う」以上の回答は約半数で、道を尋ねられるという場面では7割となる。
    • それぞれの場面で失礼だと思わないとの回答は6.8-20%程度である
  • アルバイト中で、同年代の見知らぬバイトから話しかけられた場合、「やや失礼だと思う」以上の回答は、仕事中では30%だが、休憩中では6.8%。
    • この場面では、失礼だと思わないという回答率が多くなっており、とりわけ休憩中では50%であった。

日本語は敬語、文字通り「尊重言語」表示品詞敬意を多く有する。それらの使用は日本において多くの社会的状況で必須であるが、日本語の敬語は、社会的距離や格差を強調したり、社会的親密さや階級の類似性を強調するために使用される場合もある。 このシステムは非常に広範で、さまざまなレベルの敬意、謙虚、丁寧なスピーチを表現するための独自の特別な語彙と文法形式を備えており、韓国で使用されているような、 東アジアの文化圏で見られる他の敬語システムによく似ている。

日本人は敬語の構成を使用して、社会的ランク、社会的親密性、またはランクの類似性を表示または強調する。たとえば、使用される代名詞の選択は、話す人と参照される人との間の社会的関係を表す。 敬語は、多くの場合、より直接的な話しよりも長く、時にははるかに長くなる。極端ではあるが珍しいことのない例には、次のものがある。

質問をするとき:最初は友達同士で気軽に、2番目は正式な会議で上司に尋ねる部下:

聞いていい? いいですか?

(質問)してもいいですか?
聞かせていただけると嬉しいのですが。 きかせていただけると嬉しいのです。
協力を求める場合:前者は通常かつ丁寧であり、後者は非常に形式的であるが、書面、特にポスターやチラシによく見られる。
ご協力ください。 ご協力の程お願いお願い申し上げます。
ごきょうりょくをおねがいいたします。
皆様のご協力をお願いいたします。 この後者の例には、2つの敬称接頭辞、動詞の名義化(形式のため)、敬意を表す形式、および2つの謙虚な形式が含まれている。

日本語の要望の表現とコマンドには、だれが誰に対処しているかに応じて、多くの設定フォームがある。たとえば、「よろしくおねがいします」というフレーズは、「お願いします」という意味で、さまざまな形をとることができる。スケールの下部に来る

よろしくたのむ

は、男性の友人同士で使われるかもしれないフレーズ。そのより丁寧なバリアントは、

よろしくたのみます

あまり馴染みのない人や上司に使用される

礼儀正しいフレーズ

よろしくお願いします

は同じことを意味するが、ビジネス設定で使用される丁寧な「 シマス 」を謙虚なイタシマスに置き換えて、さらに進むことができる

よろしくお願い致します

新年のグリーティングカードで使用されるような非常に形式的な日本語では、これはさらに丁寧な表現に置き換えられる場合がある

よろしくお願い申し上げます

要求を行う場合は、丁寧スケールの下部にシンプルなオーダーをしている。

「食べろ」または「食え」は、「食べる」の意味で接尾辞「んだ」は、 食べる+んだ、または、食う+んだ、で、 "Eat!"の順序を付けることができる。怒りを表現するために、接尾辞「やがる」も存在する。「食いやがれ」は非常に力強く怒りのある食事の指示であり、宛先に対する軽めのemptを表している。

ネガティブな表現は、接尾辞「な」たべるな( たべる+な= 「食べないで」)、ごみをすてるな(ごみをすてる+な=「ごみを捨てないで」)を追加することによって形成される。同様に、「な」のネガ「じゃない」も使用できる(=例:たべる「んじゃない」)

より丁寧であるが、それでも厳格なのは、動詞のi-formに付随する「なさい」という接尾辞である。これは丁寧な動詞「なさる」に由来している。このように 「たべなさい」は、おそらく親から子に与えられる命令である。これはしばしば口語的に「な」に短縮されるため 「食べな」である。ただしこの形式には文法的な否定ではない。

要望の言葉は、動詞の "て"形式に追加することでも形成できるが、最も明瞭フォームを「て」フォームに「くれ」の動詞形「くれる」の不規則な形を追加する。たとえば、 たべ「てくれ」や、くっ「てくれ」(=「食べて」の意)は「たべろ」よりも力が弱い。それを、食べない、と組み合わせて、食べない「でくれ」または、食わない「でくれ」となる。こうしてネガティブの意は、負の「て」フォームを使用して作られている。

丁寧さを1つ上げると、より丁寧な動詞「ください」が追加される。たとえば、食べて 「ください」 。この丁寧な形式では、荒い表現の動詞「食う」は使用されそうにない。同様に否定表現は、 食べないで「ください」(=「食べてはいけない」)。

丁寧さの尺度に関しては同様に丁寧な動詞の命令形を使用して行われている。例えば、「召し上がる」は 、「召し上がれ」になったときに、「食べること」の丁寧な動詞は設定されたフレーズ「いただきます」に対する応答になる。

さらに、より丁寧な形式も可能であり、これらは「て」形式ではなく動詞の「い」形式と敬称を伴う。単に礼儀正しさを向上させるだけでなく、この形式はより形式的であり、特定の人に向けられるのではなく、グループに対応するとき、または一般的な指示として使用される。例えば使用の意味「使う」がクダサイになった「これを使用してください」があるが、句動詞の場合「 お気を付け下さい」のように、 ki (w)o tsukeru(気を付ける)から 単に動詞ではなく、句全体の前に敬語「お」が表示される。クダサルをそのマスの形で活用し「お使いください」となる命令を使用することで、礼儀正しさをさらに高めることができる。これの最も丁寧な形式は、おそらく"You will probably not bestow the favor of honorably using this?" (「おそらくこれを名誉に使うことの恩恵をあなたは与えないでしょうか?」)の意味「お使いになっていただきましたでしょうか」という表現になる。ただし、このような言い方はほとんど使用されない。

礼儀正しさを向上させる他の方法は、要求の間接を伴う形である。 例として「これを使うようにお願いします」("I humbly request that you think about using this"「私は謙虚にあなたがこれを使用して考えることを要求します」の意)

Hizkera motak aldatu

スピーチの各タイプには、独自の語彙と動詞の語尾がある。 たとえば、 動詞 「to do」の標準形式はsuru ( する )。このフォームは、家族や親しい友人に適している。 suruの丁寧形、宛先敬語は、shimasuで、このフォームは、ほとんどの日常のやり取りに適している。このような顧客の話または優れた、しかし、敬意ワードなさると丁寧フォームnasaimasuが使用され、自分自身の行動やグループメンバーの行動に言及するとき、謙虚な言葉itasuは 敬意を示す場合itashimasuが礼儀正しいフォームで使用されている。これらの敬意と謙虚な言葉は、指示対象の敬語であり、したがって、宛先の敬語-masuと共存可能である。

丁寧な言葉teineigoは「desu」で終わる文と「masu」で終わる動詞の使用、および中立オブジェクトに対する「o」や「go」などの接頭辞の使用によって特徴付けられる。テレビプレゼンターは常に丁寧な言語を使用するが、これはほとんどの非日本語学習者に最初に教えられた言語の形式である。 丁寧な言葉は、自分自身や他の人の行動を指す場合も使用できる。

敬語sonkeigoは、上司や顧客について話すときに使用される特別な形式または代替語で、自分のことを話すのには使われない。たとえば、日本の美容師や歯科医がクライアントに席を取るように要求する「座れという意味で「座ってください」と言います。しかし、彼らは座っている自分自身を指すためおかけにならないのではなく、動詞のスワルを使用する。言語の敬意を表するバージョンは、他の人を参照するためにのみ使用できる。一般に、敬意を表する言葉は権力のある立場にある人々に向けられている。たとえば、仕事で上司、または顧客などで、また、スピーカーが専門的な能力で行動していることも意味し、長い丁寧な表現が特徴。被写体が尊敬の人であるとき、一般的な動詞は例えばなさるによってsuru(行う)、またはossharuによってhanasu(話)など、より丁寧な代替動詞に置き換えてもかまわない。これらの変換のいくつかは多対1で: iku 、(go)、 kuru (come)、およびiru (be)はすべてイラッシャルになり、 taberu (eat)とnomu (drink)は両方ともmeshiagaruになる。

動詞は敬意を表す形に変更されることもあり、敬意を表する1つの形式は、接頭辞と丁寧な接尾辞を使用した動詞の変更でたとえば、 yomu (read)はo-yomi ni naruになり 、接頭辞o-が動詞のi-formに追加され、動詞がni naruで終わり。 yomareruなどの動詞-(r)areruも使用でき、名詞も敬意を表すために代用される。人に対する通常の日本語の単語、 hito 、人は、敬意を表した言語では、 kata 、方になりしたがって顧客は通常、 hitoではなくkataと呼ばれることが予想される。一般に謙虚な言葉は、自分の行動またはグループ内の人の行動をビジネスの顧客などの他の人に説明するときに使用され、謙虚な言葉は他の人を助けるために自分の行動が起こっていることを暗示する傾向もある。謙虚な言葉( kenjōgo )は、動詞を他の形式に置き換える点で敬意のある言葉に似ており、たとえばsuru(DO)itasuになり、 モラウ (受信)はitadakuになる。これら二つの動詞もDO itashimashiteとして(どういたしまして)といただき (いただきます-aは、飲食の前に言うフレーズ)といった定型句などに見られる。 敬語と同様に、動詞は接頭辞と「する」または「itasu」という動詞を追加することで形式を変更することもでき、たとえば、 motsu (carry)はo mochi shimasuになります。謙虚なフォームの使用は、他の人のために何かをすることを意味する場合がある。したがって、日本人は「おもちします」と言って何か他のものを運ぶことを申し出るかもしれないというこのタイプの謙虚な形式は、 oとshimasuを追加してmataseru (make wait)からのセットフレーズo matase shimashita 、「すみませんでした 」にも表示される。同様に、お願いshimasu、で"お"とshimasuを追加して、再び、negau(要求または希望)から、「[これを行う]、してください」などや、さらに丁寧に言うと、 もたせていただきたくは、文字通り「持ち運びが許される」という意味であるがこのフレーズは、「お気に召すなら持ち運びます」という考えを表現するために使用される。鉄道駅での一般的なフレーズ「電車が参ります(電車が到着します」)のように、話者がエージェントではない場合、リスナーへの礼儀として、同じ形式を使用することもできる。この場合、アナウンサー自身は到着していないが、単に丁寧であり、一部の言語学者はこれをkenjōgo(話者がエージェントである)と区別し、代わりにteichōgo(丁重語)を「礼儀正しい言語」と呼び、正式に次のように定義した:   

 主題のすべての表現を通して、話者が聞き手に配慮を示す敬語。

このカテゴリは、宮地裕によって最初に提案された   がTeichōgoは、宛先敬称として、常にteineigoと共に使用される(-masu)形、丁寧配列は一例として、"移動"の意味での行く、行きます、参ります'(IKU、ikimasu まいります )がある。謙虚な言語では、グループ内の人々を指す場合、名前の接尾辞は削除される。したがって、日本語では会社の経営者は「私は社長の具志堅であり、"これ"はCEOの丹羽です」と言って自己紹介とチームを紹介するが、敬意を表す言葉と同様に、名詞も変更し「人」は「 モノ」になる。この謙虚バージョンは、自分自身、または会社などのグループのメンバーを指すときに使用される。

Hizkera formala aldatu

話や文章の相手に対して丁寧に述べるもの。広義として聞き手に対する配慮を表すもろもろの語を含める場合があるが、文法的に語末に使われる現代語の「です」「ます」「ございます」、古語の「はべり」「候ふ」などを指す。

丁寧さを添える「です・ます」で終わる文体を敬体、普通の「だ」や動詞・形容詞の終止形で終わる文体を常体と呼ぶ。

丁寧を表す語形変化は以下の通りであるが文法カテゴリーに応じて語彙を変える場合があり、文法的には丁寧語というよりも丁寧体として分析される。

  • です
    • 名詞+繋辞 - 学生だ→学生です(現在)、学生だった→学生でした(過去)、学生ではない→学生ではありません(否定)、学生だろう→学生でしょう(推測)
    • 形容動詞 - 綺麗だ→綺麗です(現在)、綺麗だった→綺麗でした(過去)、綺麗ではない→綺麗ではありません(否定)、綺麗だろう→綺麗でしょう(推測)
  • ます
    • 動詞 - 見る→見ます(意志)、見た→見ました(過去)、見ない→見ません(否定)、見よう→見ましょう(勧誘)
  • ございます
    • 形容詞 - 忙しい→忙しゅうございます(現在)、忙しかった→忙しゅうございました(過去)、忙しくない→忙しゅうございません(否定)、忙しいだろう→忙しゅうございましょう(推測)
      • ウ音便を用いて「ございます」に接続させる形(例:忙しゅうございます)が伝統的な丁寧体である。形容詞に名詞や形容動詞で用いる「です」を接続させる形(例:忙しいです)は誤りであるとする考え方もあるが、1952年の第1回国語審議会「これからの敬語」では「平明・簡素な形として認めてよい」とされた。

Ohorezko hizkera aldatu

話題中の動作や状態の主体が話者よりも上位である場合に使われる。動詞、助動詞、形容詞の語形変化を指すが名詞の語彙を変えることも尊敬語に含む場合がある(例:だれ→どなた)。

動詞の語形変化には以下のような方法がある。

  • 語彙自体を変える - 例:いる・行く→いらっしゃる、食べる→召し上がる、見る→ご覧になる、する→なさる
  • お / ご~になる - 例:待つ→お待ちになる、掛ける→お掛けになる
  • お / ご~なさる - 例:待つ→お待ちなさる、掛ける→お掛けなさる
  • れ / られ - 例:待つ→待たれる、掛ける→掛けられる

形容詞・形容動詞の語形変化には語の前に「お / ご」を付ける。

  • 忙しい→お忙しい、多忙→ご多忙

人名には後に「様」「さん」「殿」「陛下」「先生」「先輩」「閣下」「社長」「部長」など敬称や職階をつける。

名詞には前に「お」「ご」「御(おん)」「み」「尊」「貴」「玉」などをつける。通常大和言葉には「お」を、漢語には「ご」を付けることが多い。「お」「ご」の2つは美化語としても用いられる。「み」以降は付けられる名詞が決まっており、造語力が低い。

  • 車→お車
  • 亭主→ご亭主
  • 心→お心、み心(表記は「御心」で同一)
  • 父→ご尊父
  • 会社→貴社
  • 原稿→玉稿
  • 自宅→お住まい

尊敬語はその昔、階級によりその用い方が決められていたものがある。今日においても皇室典範などや慣習によって、天皇・皇族についてのみ用いられる。ただ日常では滅多に使われない。崩御なども単に「死去」や「お亡くなりになる」などと表現することもある。

詳細は「最高敬語」を参照

  • 誕生
    • ご誕生が一般的だが、1940年代までは皇族の誕生のみ降誕といった(天から地上に降った神の一族として扱っていたため)。
  • 死亡(用いられる対象については各項を参照)
    • 崩御、薨御、薨去、卒去、逝去
  • 自宅
    • 御所、邸

Apaltasunezko hizkera aldatu

話題中の動作の客体(間接的である場合もある)が話題中の動作の主体よりも上位である場合に使われる。そのため謙譲語は話題中に2人以上の人物が登場しなければならない。動作の主体を謙す言い方であり、主体=話し手の場合には自分が謙ることになる(卑しめるという意味ではない)。

動作の客体となる人物は聞き手でも第三者でもよく動作の主体は話し手・聞き手・第三者の誰でもよいのであるが、会話の場にいない人物への敬語が使われなくなってきたため動作の客体が聞き手、動作の主体が話し手である場合が多くなっている。「やる」の謙譲語の「上げる」のように謙譲の意味が薄れている、または「食う」の謙譲語「食べる」のように謙譲の意味がほぼ消滅した語もある。

謙譲語は客体を高める語である。古文では天皇・皇族や貴族の動作に謙譲語がついた例もある。

語形変化には以下のような方法がある。

  • 語彙自体を変える - 行く→伺う、見る→拝見する
  • お / ご~する - 待つ→お待ちする、掛ける→お掛けする
  • お / ご~頂く・申し上げる - 買ってもらう→お買い頂く、辞退する→ご辞退申し上げる

向かう先のある名詞に関しては接頭語「お / ご」を付けた形も謙譲語として用いられる。

  • 手紙→お手紙を差し上げる、辞退→ご辞退を申し上げる、ご連絡を差し上げる

これらは同じ語形で尊敬語とも謙譲語ともなる。

  • 先生へのお手紙、お客様へのご連絡 - 謙譲語
  • 先生からのお手紙、お客様からのご連絡 - 尊敬語

Hizkera adeitsua aldatu

聞き手が、話し手よりも上位であることを表す語彙をいう。必ず「ます」を伴うことが特徴である。また話し手は話題中の動作主であるか動作主と同じグループに属する。この種の敬語は,一般に謙譲語と呼ばれてきたが,ここでは,謙譲語と区別して,特に丁重語と呼ぶこととする。

丁重語は基本的には自分側のことを述べる場合に使い,特に相手側や立てるべき人物の行為については使えないのに対し、丁寧語は自分側のことに限らず,広く様々な内容を述べるのに使えることである。また丁重語は,丁寧語よりも改まった丁重な表現である。

語形変化には以下のような方法がある。

  • する→致す、いる→おる、行く・来る→参る、言う→申す

名詞に関しては規則的に丁重語を生成することができないが、下記のような例がある。

  • 茶→粗茶
  • 品→粗品
  • 贈り物→つまらない物
  • 妻→愚妻(同様に愚息、愚兄、愚弟、愚妹)
  • 夫→宿六(“うちの碌でなし”を略し、更に字を充てた)
  • 自分の子→豚児(但しここまで卑下するのは当人の自尊心を傷つける事にも繋がるので控えるべしという意見がある)
  • 著作→拙著
  • 理論→拙論
  • 当社→弊社、小社

なお、物を贈る際に「つまらないもの」と称することが日本語独特の表現のように言われることがあるが英語でも"This is my little gift to you."(小さな贈り物です)のように自らの贈り物について謙遜する表現は存在する。

Ikus, gainera aldatu